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英国王のスピーチ Poster

英国王のスピーチ

R
Genre: Drama, Other
In Theaters:
4.0
英国王ジョージ5世には、皇太子ディビッド王子と次男であるヨーク公アルバート王子など4人の息子があった。ディビッド皇太子は社交的な性格で、アルバートは内向的だった。ディビッド皇太子は未婚のままだったが、アルバート王子はすでにエリザベス妃と結婚し、二人の娘(エリザベス王女とマーガレット王女)があった。 アルバート王子は1925年の大英帝国博覧会の閉会式でジョージ5世の代理として演説をすることになったが、吃音症のためにさんざんな結果に終わってしまう。アルバート王子は専門家の治療を試すものの、結果は思わしくなかった。エリザベスは言語聴覚士であるオーストラリア出身のライオネル・ローグ(en:Lionel Logue)を紹介され、アルバート王子は仮名を使って、ローグの療法を受けるために、ローグのみすぼらしいオフィスを訪問した。第一次世界大戦においてシェルショックに苦しむ元兵士たちを治療してきたローグは、当時、本流とはいえない療法をもって成功していたが、アルバート王子に対しても、愛称(バーティーとライオネル)を使い合い、くだけた環境を作り出して療法を始めた。その結果、1927年にオーストラリアのキャンベラで開催された、連邦議会開会式の演説を問題なくこなすことができるようになった。 アルバート王子はオーストラリアでの演説をニュース映画で家族とともに観るが、ニュース映画の一部としてドイツの新しい指導者アドルフ・ヒトラーが見事な演説を行い、ドイツ国民を魅了している姿を観て強い印象を受ける。 1936年、ジョージ5世が亡くなり、ディビッド皇太子はエドワード8世として国王に即位した。しかし、王はアメリカ人で離婚歴のあるウォリス・シンプソンと結婚するため、1年も満たぬうちに退位し(いわゆる 「王冠を賭けた恋」)、アルバート王子は急遽国王として即位することを余儀なくされる。それまで、単なる海軍軍人としてのみの公職をもっていたアルバート王子は、この負担に大きな苦しみを感じることとなる。しかしながら、ヨーロッパにおいてはヒトラーが率いるナチス・ドイツが台頭し、一触即発の機運となっていたため、英国は王家の継続性を保ち、国民の奮起をうながすために強い意志を鼓舞することができる国王を必要としていた。 即位したアルバート王子は、父親の跡を継ぐという意思表示をも含めて「ジョージ6世」を名乗ることになった。ジョージ6世の吃音症問題は改善のきざしは見られていたが、依然として深刻な問題だった。国王となったアルバート王子はローグによる言語療法を続けることを求めたが、カンタベリー大司教をはじめとする政府の要人から、ローグは満足な公の資格をもたない療法者にすぎないので、他の専門家による治療を受けるようにとの強い要請を受ける。しかしジョージ6世はそれまでにローグとの間に築き合ってきた信頼関係を第一としてローグを手放すことはなく、彼の助けを得ながら、第二次世界大戦を国民とともに戦っていくなかで、国民を鼓舞するために重要な演説をしていくことになる。

Director:

No Director information.
Screenplay: No Screenplay information.
Studio: Paramount Pictures
DVD Release: 2011-09-02 00:00:00.0
Tagline: No Tagline yet.
Synopsis
英国王ジョージ5世には、皇太子ディビッド王子と次男であるヨーク公アルバート王子など4人の息子があった。ディビッド皇太子は社交的な性格で、アルバートは内向的だった。ディビッド皇太子は未婚のままだったが、アルバート王子はすでにエリザベス妃と結婚し、二人の娘(エリザベス王女とマーガレット王女)があった。 アルバート王子は1925年の大英帝国博覧会の閉会式でジョージ5世の代理として演説をすることになったが、吃音症のためにさんざんな結果に終わってしまう。アルバート王子は専門家の治療を試すものの、結果は思わしくなかった。エリザベスは言語聴覚士であるオーストラリア出身のライオネル・ローグ(en:Lionel Logue)を紹介され、アルバート王子は仮名を使って、ローグの療法を受けるために、ローグのみすぼらしいオフィスを訪問した。第一次世界大戦においてシェルショックに苦しむ元兵士たちを治療してきたローグは、当時、本流とはいえない療法をもって成功していたが、アルバート王子に対しても、愛称(バーティーとライオネル)を使い合い、くだけた環境を作り出して療法を始めた。その結果、1927年にオーストラリアのキャンベラで開催された、連邦議会開会式の演説を問題なくこなすことができるようになった。 アルバート王子はオーストラリアでの演説をニュース映画で家族とともに観るが、ニュース映画の一部としてドイツの新しい指導者アドルフ・ヒトラーが見事な演説を行い、ドイツ国民を魅了している姿を観て強い印象を受ける。 1936年、ジョージ5世が亡くなり、ディビッド皇太子はエドワード8世として国王に即位した。しかし、王はアメリカ人で離婚歴のあるウォリス・シンプソンと結婚するため、1年も満たぬうちに退位し(いわゆる 「王冠を賭けた恋」)、アルバート王子は急遽国王として即位することを余儀なくされる。それまで、単なる海軍軍人としてのみの公職をもっていたアルバート王子は、この負担に大きな苦しみを感じることとなる。しかしながら、ヨーロッパにおいてはヒトラーが率いるナチス・ドイツが台頭し、一触即発の機運となっていたため、英国は王家の継続性を保ち、国民の奮起をうながすために強い意志を鼓舞することができる国王を必要としていた。 即位したアルバート王子は、父親の跡を継ぐという意思表示をも含めて「ジョージ6世」を名乗ることになった。ジョージ6世の吃音症問題は改善のきざしは見られていたが、依然として深刻な問題だった。国王となったアルバート王子はローグによる言語療法を続けることを求めたが、カンタベリー大司教をはじめとする政府の要人から、ローグは満足な公の資格をもたない療法者にすぎないので、他の専門家による治療を受けるようにとの強い要請を受ける。しかしジョージ6世はそれまでにローグとの間に築き合ってきた信頼関係を第一としてローグを手放すことはなく、彼の助けを得ながら、第二次世界大戦を国民とともに戦っていくなかで、国民を鼓舞するために重要な演説をしていくことになる。
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