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倉田保昭 Picture

倉田保昭

Born
茨城県新治郡桜村
Birthday
1946-03-20
Occupation
Actor
Spouse(s)
Years Active
1966年-
Biography
父親は織物業を営み、少年時代から父親の元で空手の練習に励む。しかし小学四年の時織物業が倒産、埼玉県大宮市(現:さいたま市)に一家で引越し、この時から糸東流空手の道場に通い始める。高校は東京の海城高等学校に入学し、柔道部で活躍。高校卒業後、一年間の浪人生活を経て日本大学芸術学部演劇学科に入学。中学、高校でマスターした空手、柔道に続く新しい試みとして合気道を始め、大学4年の時には合気道部を設立する。大学卒業の時、友人に誘われるまま、東映演技研修所の第一期生となり、1966年、テレビドラマ『丸出だめ夫』でデビューし、翌年『続・組織暴力』で映画デビューを果たした。その後、東京俳優生活協同組合に籍を移し、『柔道一直線』(TBS)や『中学生群像』(NHK)などのテレビドラマに出演。
1971年、香港映画界の名門たるショウ・ブラザースのオーディション(日本の帝国ホテルで開催)に合格したのを機会に、折りからカンフー映画へと転進。同年『悪客』で香港映画デビュー。以降、悪役俳優として活躍した。
1974年には香港映画『帰ってきたドラゴン』で日本のスクリーンにも凱旋帰国したほか、東京12チャンネルのテレビドラマ『闘え!ドラゴン』に主演した。そして日本映画出演第一作目となった千葉真一主演の『直撃! 地獄拳』や、志穂美悦子主演『女必殺拳 危機一発』、『必殺女拳士』など、東映製作の格闘映画の助演。1976年には東映映画『武闘拳! 猛虎激殺』で主演を果たした。
1975年よりTBS系のドラマ『Gメン'75』に草野刑事役として、1979年までの4年間、レギュラー出演する。特に、『香港カラテロケシリーズ』(第105、106、126、127、175、176、201、202話.等)での活躍ぶりは伝説を残している。
以降も日本、香港、台湾を股にかけて、現在まで俳優として活躍中。
Filmography 
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